約束を破ることによって失うもの

2006年07月14日(金)22:54

以前、有言実行だとか不言実行だとかについて書いたことがあります。約束を守ることは、有言実行で守らなければならないことだったりします。

いくら口約束であっても、お互いが認めた時点ですでに契約として成り立っているのです。そして、それはできるだけ達成されるべきなのです。どんなに果たすことが難しい約束も、できるだけ努力して果たされるべきなのです。だから、極端に面倒な約束はしないのに限ります。

難しい要求を簡単に呑んではいけません。果たせないことは、引き受けた側の責任なのです。できない約束を引き受けたなら、本来ならば罰則 (ペナルティ) が科せられるのです。それは、金銭的な損失であったり、社会的な信用であったり。

金銭的な損失は労働によって返上することができますが、社会的な信用はなかなか挽回できません。だから、約束を簡単に破ること、人を期待させておいて裏切ることは、してはいけないのです。

数字のつく出来事は記憶に残る

2006年07月13日(木)22:00

最近、テレビのニュースなんか見ていると物騒な事件ばかりじゃないっすか。これって実は、最近に始まったことじゃないんですよ。昔から、ニュースによく取り上げられるのは物騒な事件なんですよ。では、なぜ最近特に物騒な事件が多いと思われているのか。それは人の記憶力がよろしくないからなのでは? と思うわけですよ。

人の脳って、どうしても古いことを忘れてしまうんですよ。その上、新しい経験が邪魔をして、当時はものすごく大したことだったのが、年月が経てば大したことだと思えななくなってしまうんですよ。だから、どんなに凶悪な事件でも、数字がつかなければ忘れ去られてしまうんです。2.26 事件とか 9.11 (アメリカ同時多発テロ事件) とか第 2 次世界大戦とか、100 キロババア (都市伝説) とか、5 倍以上のエネルギーゲイン (ガンダム) とか、通常のザクの 3 倍の速さ (シャア専用ザク) とか、数字がつく出来事はインパクトがあるから記憶に残るんです。でも、そうでない事件なんかはすぐに忘れられてしまうんですよ。だから、数字のつかない事件はあたかも最近起きたように取り上げられて、物騒感が漂う。数字に騙されて、ことの重要さをはぐらかされているような気がしてなりません。まあ、マスコミとかどうでもいいんですがね。

ところで、これもどうでもいいようなこと。

人がひとり亡くなるのも、大勢亡くなるのも、どちらも悲しい出来事です。しかし、世の中は大勢亡くなったほうを重要視しがちです。そりゃあ重要ですよ。でも、ひとり亡くなるのは大したことないんですか? 大勢亡くならなきゃ注目されないくらい、命は軽い価値しかないんですか? まあ、どうでもいいんですがね。どうせ命の価値は計り知れないんですから。比べること自体が愚かだということ、改めて知りましたよ。

ではでは。

……結局俺、何書きたかったんだろう (汗)。

敵を作らない人、敵を作ってしまう人

2006年07月02日(日)21:35

しっかしきょうは本当、インターネットのつながり悪いっすわ……。なんで自分のサイトを開くのにこんなに時間がかかるんだか……。メッセンジャーつないでいても、しょっちゅう切れるし……。

そりゃ、まあ、置いといて。実は今、頭が痛かったりします。なんで無理してこんなの書いているんだ、というのも、まあ置いといて。

世の中、敵を作らない人と、敵を作ってしまう人がいると思うんですよ。

敵を作らない人は、世渡りが上手というか、何事も無難にこなしていけると思うんです。でも、敵を作ってしまう人は、いつどんな時に自分の状況を不利にしてしまうかわからない。きのうまで頼りきっていた相手が、きょうは敵になってしまっているかも知れないんです。なるべくなら敵は作らないほうがいいんですが、どうしても作ってしまうのが、そういう人なんです。

敵を作らない人と、敵を作ってしまう人、どっちの生き方がいいのかは、わかりますよね。そう、生き方です。生き方だから、変えることができるんです。生まれつき持って、一生そのまま変えられないというわけではないんです。変えようと思えば、変えられるものなんですよ。だから、あきらめちゃダメです。変えようと思っていれば、きっと変えられます。

人は、変えようと思っていれば性格さえ変えられる生き物なんですから。

あぅ……、頭痛てぇなぁ……。

ブログだから専門的なことも書ける

2006年06月12日(月)21:06

きょうはサッカー ワールドカップで日本対オーストラリアの試合がある日。早くお風呂に入って、みんなでテレビ観戦しなきゃ。でも本当はテレビじゃなく現地がいい、って思っているひろやです。

きょうは恋人の日。でも俺には関係ないのよ。そもそも、それってどういった日なのですか? よくわからないけど、そういう日らしいのです。ちなみに変人の日のほうが馴染めるような気がするのは、きっと気のせいですわ。

6 月に入って、なんだかよくわからない天気の日が続いていますが、結局北海道に梅雨はないため、乾燥した日々が続いているわけで……引き続き、火の取り扱いには気をつけてください。

さて、このブログ (日記) だけを読んで俺のすべてがわかるわけないんです。恐らく、俺はこのブログにきょうあったすべてのことを書いているつもりはありません。以前も書きましたが、情報を選んで書いているつもりです。

また、どうでもいいようなことや、ある特定の方向に精通していなければ理解できないような専門的なこと、マニアックな話題などを書くことも、しばしばあります。コンピュータ関係の話やインターネット全般の話、ゲームの話やアニメの話、ごく近所に住んでいなければわからないような内輪の話なども、たまに書くことがあります。しかしそれらが俺のすべてではないということに注意してください。

メッセンジャーやメールなどでしか関わっていない人などもいますが、それらでの会話の中に、ブログで書いたことを持ち出すことはほとんどないと思います。同じ話題を複数の手段でするつもりがないからです。

俺の場合、メッセンジャー友達にブログの URL を教えてある場合、まず、ブログを見てくれていることを前提として話をしています。なので、メッセンジャーで重複した話をするつもりはないのです。メッセンジャーではそれよりも新鮮な話題を取り上げて会話をしたほうが有意義だと思うからです。

多分、なんの気なしにこれを見ている人にはなんのことやらさっぱりわからないと思います。俺がここで書いておきたいのは、俺はケータイメールよりパソコンのメールが好きということ。そしてパソコンのメールよりメッセンジャーが好きで、本当はメッセンジャーより Web サイトに情報を載せるのが好きということ。つまり、いちいち細かく送受信するより、一度に書いて送ってしまったほうが楽ということだったりします。

世界には夢があふれている

2006年06月01日(木)21:49

世の中は最近、ファンタジーに満ちあふれています。昔なら想像もできなかったようなことが、ごく当たり前のように行われています。きょうから札幌などでも本放送が開始された地上デジタル放送など、テレビがまだモノクロームだったころには、誰が想像できたでしょうか。

今でさえ人々は夢と実力さえあれば、困難こそあれど、自分の選んだ道へ向かって進んでゆけるのです。文明開化以前の封建的な身分制度の下では、まずありえなかったことです。

しかし、人間は夢さえ持てばなんでもできるほど万能な生き物でないことも、確かなのです。いくら知力と財力を得たとしても、それを生かすも殺すも、持った人間次第なのです。そして意地悪いことに、人間が生きている限り最も恐怖するもの、その対象は自分自身の心なのです。

何がよくて何が悪いのかは、実は自分自身で好きに決めていいのです。誰かが決めるものでないので、自分の直感を頼りに判断すればいいのです。好き嫌いの判断基準も、すべて自分中心で考えてもいいのです。なんだかわからないけど好きという感覚は間違いではありません。好きなものに理由なんか要りません。だから、恋とか、そういうものに理由は要らないのです。

人間は几帳面で潔癖な生き物だけど、曖昧で無節操な一面も持っています。だから、楽しめるのです。

きょうから 6 月、水無月です。

水無月とは、言わずとも知れた旧暦の 6 月のことです。旧暦の 6 月は新暦の 7 月に当たります。ということは多くの地域では梅雨の真っ最中ですね。まあ、北海道に梅雨はないんですが。

そのような月に、なぜ水無月という皮肉とも取れるような名がついたのでしょうか。

実は水無月はもともと、水月と書いてみなづきと読んでいたとか、水な月と書いていたとかいう説があります。水な月は格助詞で、今で言うところの水の月という意味らしいです。で、のちにの字が当てられた、と。他にも説があるようです。

一覧 / 検索