世界には夢があふれている

2006年06月01日(木)21:49

世の中は最近、ファンタジーに満ちあふれています。昔なら想像もできなかったようなことが、ごく当たり前のように行われています。きょうから札幌などでも本放送が開始された地上デジタル放送など、テレビがまだモノクロームだったころには、誰が想像できたでしょうか。

今でさえ人々は夢と実力さえあれば、困難こそあれど、自分の選んだ道へ向かって進んでゆけるのです。文明開化以前の封建的な身分制度の下では、まずありえなかったことです。

しかし、人間は夢さえ持てばなんでもできるほど万能な生き物でないことも、確かなのです。いくら知力と財力を得たとしても、それを生かすも殺すも、持った人間次第なのです。そして意地悪いことに、人間が生きている限り最も恐怖するもの、その対象は自分自身の心なのです。

何がよくて何が悪いのかは、実は自分自身で好きに決めていいのです。誰かが決めるものでないので、自分の直感を頼りに判断すればいいのです。好き嫌いの判断基準も、すべて自分中心で考えてもいいのです。なんだかわからないけど好きという感覚は間違いではありません。好きなものに理由なんか要りません。だから、恋とか、そういうものに理由は要らないのです。

人間は几帳面で潔癖な生き物だけど、曖昧で無節操な一面も持っています。だから、楽しめるのです。

きょうから 6 月、水無月です。

水無月とは、言わずとも知れた旧暦の 6 月のことです。旧暦の 6 月は新暦の 7 月に当たります。ということは多くの地域では梅雨の真っ最中ですね。まあ、北海道に梅雨はないんですが。

そのような月に、なぜ水無月という皮肉とも取れるような名がついたのでしょうか。

実は水無月はもともと、水月と書いてみなづきと読んでいたとか、水な月と書いていたとかいう説があります。水な月は格助詞で、今で言うところの水の月という意味らしいです。で、のちにの字が当てられた、と。他にも説があるようです。

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